最強の氷精 (前編)




 人間を寄せ付けぬ霧深き湖の畔に、鮮血の如く紅(くれない)に塗りたくられた洋館が存在する。そのおぞましき外見的特徴から『紅魔館』と呼ばれ、興味本位で近づく者など誰もいない、呪われし悪魔の館である。
 実際には、悪魔ならぬ吸血鬼が数多くの下僕と共に住んでおり、強大な力と忌まわしき過去を持つが故に、人間のみならず凡庸の妖怪達からも恐怖の対象とされていた。

 それら遍(あまね)く人妖が、その名を耳にしただけで戦慄するという、紅き悪魔の館こと紅魔館の主、レミリア・スカーレット。彼女は今、己が館が誇る大ホールの大窓より、夜空を赤く染める満月を眺めていた。


 かつては連日のように攫ってきた人間達の血を啜り、多くの同族や眷属達がその狂宴に酔いしれていたという血塗られた聖域は、古今東西あらゆる書物が揃うという地下大図書館と共に、この紅魔館が誇る一大施設であった。
 だが、それも百年ほど前からほとんど使用されなくなり、数百人もの人数を一度に収容してもまだ余る程の大ホールも、今では年に数回程度、こうして彼女一人の為に開放されるだけの存在と成り果てていた。

 この館は吸血鬼の居城として建築されたもので、当然の如く忌々しい日光が館内へと入り込まないよう、窓の数は極端に少ない。
 しかし、大ホールの両壁面には、天井まで届くような巨大な窓が幾つも連なり、見る者を圧倒させる威容を内外に知らしめている。
 一見、吸血鬼の居城としては矛盾しているようであるが、そもそも大ホールを使用するのは決まって夜間であり、その時間帯に日光を浴びる危険性などない。
 闇の宴は、その名の通り夜の“とばり”にのみ開かれるものなのである。


 窓から外を眺めれば、淡い朱色を帯びた満月は夜空に天高く登り詰め、漆黒の空に仮初めの太陽として君臨している。
 今宵、地上へと降り注ぐ満月は狂気の光。あの光の下では妖怪達が血に飢え、狂い、そして脆弱な人間はただ脅えて身を潜めている事だろう。

「なんて綺麗な紅い月……昔を思い出すわ。……懐かしい日々。
 ああ、昔のように心躍らせる出来事なんて、もう二度と起こらないのかしら?」

 窓より差し込む月明かりに照らされているレミリアの姿は、一枚の絵画から切り抜かれたかのように美しく、息を飲むほどに神秘的であった。
 と同時に、彼女を称える月の灯火は、幼い身体には不釣り合いなほどの大きな一対の羽と共に、愛らしい口元に冴える鋭い牙をも凶悪に反射していた。

「失礼いたします、お嬢様」

 レミリアが満足げに月の狂気を楽しんでいると、背後から声が掛かる。おそらくいつものティータイムの時間なのだろう。
 もうそんな時間なのか。どうやら時を忘れるほどに狂気を楽しんでいたらしいが、それも無理はないだろう。これほど美しい満月は滅多にある事ではないのだから。

「……ん、スザンナか」
「紅茶の時間となりましたので、ただ今お持ちしました」
「そう、じゃここへ持ってきて」
「畏まりました」

 スザンナと呼ばれた従者は恭(うやうや)しくレミリアの側まで歩いてくると、すぐにその準備を始める。
 素早く正確にソーサー、カップ、スプーンをテーブルへと並べていくも、物音一つ立てないそのきめ細かさは、彼女の練度と共に主への気遣いの高さを如実に現している。
 カップに注がれた、血のように紅い紅茶――主成分は本当に血液なのだが――を嗜みながら、館の主たる吸血鬼は苦々しく呟く。

「――――不味い」

 その言葉に、控えていた従者は「申し訳ありません」と深く頭を下げる。

「今すぐに煎れ直してまいります」
「その必要はないわ。ただ言ってみただけよ」
「? ……はぁ」

 スザンナは表情こそ崩さないが、内心ではレミリアの言葉に苦慮していた。そんなスザンナの心を気に止めたのか、レミリアが言葉を続けた。

「これは本当に美味しい紅茶だわ。さすがスザンナね」
「ありがとうございます」
「ただ、貴女の煎れ方が下手とかじゃなくて、連中が用意した『原料』を使って煎れられた紅茶を、すぐに美味しいと認めるなんて癪じゃない?」

 そう言って、レミリアは再び紅茶を口にする。その姿は優雅で気品溢れるものだったが、表情だけは固いままだった。

「いくら吸血鬼条約のせいで、私たちが幻想郷(ここ)で生きた人間を捕まえられないとは言え、ヤツらの提供する『食材』は鮮度が悪すぎる。
 それに加えて、私の好きなB型の食材補充が極端に減った。これは、もしかしてわざとやっているんじゃないか、と勘ぐりたくなるほどよ」

 レミリアは紅茶を少しだけ口にした後、カップを受け皿へと置く。その間、出てくる言葉はこのような愚痴ばかりだった。

 その様子を見たスザンナは、またかと心内で苦笑する。
 レミリアは紅魔館の当主でありながら、少々我が儘な嫌いがある。また、外見さながらの少女のような、幼い行動を取る事もあった。
 今回の事もそうである。いきなり自分が仕える当主から、紅茶の味について「まずい」と駄目出しされたのだから内心は気が気ではない。しかもその理由が単なる気紛れとくれば、その心情は大体察しがつくだろう。

「ところでスザンナ」
「はい、何でしょうか?」
「貴女がメイド長を引き継いでからしばらく経ったわけだけれど、メイド長の仕事は如何かしら?」
「はい。先代が余りにも偉大な御方でしたので、その後を継ぐと決まった時は、今だから正直に申し上げさせて頂きますと、責任感と重圧に押し潰されそうでした」
「ほう……。しかし憶えているだろう? お前を指名したのはこの私だという事を」
「はい。この私めをご推薦くださったお嬢様のお顔に泥を塗るわけにはいきません。
 先代にも負けないメイド長を志し、粉骨砕身の覚悟でこれまで努力してきたと自負しておりますし、これからも弛まぬ努力を続けていく所存でございます。
 すべては、お嬢様の為に」
「ふふ。それだけの気概があれば十分。後は目に見える結果だけ。これからも努力なさい、この私の従者として相応しくあるために」

 スザンナが当然の如く「はい」と答えると、レミリアは満足げに頷きながらティーカップを傾ける。紅い液体が喉を流れていくたび、満足感と相まって先ほどまでの苛立たしさは消えていくようだった。

「しかし、先代のメイド長も志半ばで死んでさぞや無念だったろうな……もっともそのおかげでスザンナの紅茶が飲めるようになったのだから、その部分は喜ぶべきか?
 実際、紅茶の味に関してだけはお前は先代を超えているからな」

 レミリアの笑えない冗談に、スザンナはどう返答して良いか戸惑い、結局「ありがとうございます」という、それが無難なのか最善なのかも分からない言葉しか返せなかった。
 しばらくの沈黙の間、スザンナはまだまだ先代には追いつけていないと自分を叱責していた。こういう時、先代ならば気の利いた冗談の一つでも返したのかも知れないが、生憎と自分はそこまで器用ではなかった……というより、主従の境を超えてレミリアと冗談を言い合えるほど長く仕えている訳ではなかったのである。


「もういいわ、片づけてちょうだい」
「はい、畏まりました」

 本日のティータイムはここまでのようだ。
 一瞬、気まずいような雰囲気もあったが、どうやらレミリアも特に気にしてはいないようである。その様子を確認しながら、スザンナは安堵と共にレミリアが飲み終えたカップなどの後片付け始めようとした、まさにその時である。

「たーのーもー!!」

 幼い少女のものと思われる、場違いとも言える叫び声が響き渡った。
 すわ何事か、と声のする方向――大ホールの出入り口――へと視線を向けるが、そこには何もない。
 紅魔館が誇る中央大ホールと、左右両館及び大図書館などの各通路を結ぶ、大きく重厚な扉。それが普段通りに整然とそびえ立っているだけである。

「?」

 一瞬、久々の敵襲かとも思ったが、それならば有能な門番が力ずくで排除しているはずであるし、仮に門番の手に負えないような強大なハンターなり妖怪なりが進入しても、すぐに気配で察知できる筈である。

 何事かと首を捻っていると、さきほどの可愛らしい声の持ち主と覚しき人物が「うんしょ、うんしょ」と重厚な扉を押し開け、しばらくしてようやくその隙間から這い出して来たのであった。
 彼女は、肩で息をしながら「なんでこの扉はこんなにも重いのよ!」などと、扉に八つ当たりしている。
 その様子を憮然と見ていたスザンナだったが、侵入者が妖精であった事を認めると、力が抜けたように叫んだ。

「おいそこの妖精! 今日はこの時間、立ち入り禁止の筈だぞ! なぜ勝手に入って来た!?」

 館に住む魔女の予報により、当日の天気が快晴だと聞かされたレミリアは、月が狂気の真円を描くこの日、この時間を前々から楽しみにしていた。
 そのために、何日も前からわざわざメイド総出で清掃し、関係者以外の出入りを固く禁止していた程である。だが、進入してきた妖精は何の事か理解していないようだった。

「ちっ、これだから妖精は……。
 申し訳ありません、お嬢様。妖精に対する教育が不十分でした。……今すぐ叩き出しますので、しばしご辛抱を」
「……………………」

 レミリアは無言である。その事がスザンナの気を焦らせる。
 妖精の新人教育は自分の担当ではないが、だからといってメイド長である自分が免責される保証はない。少なくとも今この場に居るのは自分だけであり、その対応如何によっては、気紛れなレミリアの叱責を受ける事は十分にあり得る話なのだ。

「もう一度問う! 貴様の所属は!? 上司は誰だ!?」

 だが、妖精はスザンナの言葉など全く聞く耳を持たず、ずかずかとこちらに歩み寄って来るではないか。

「っ!」

 誰だ、この馬鹿をメイドにした奴は。妖精は元々馬鹿だが、目の前のコイツは馬鹿に輪を掛けた馬鹿っぷりである。スザンナは部下の顔を一人一人思い出しながら、そう毒づいた。
 こうなったら手足の一本でも削ぎ落としてやろうか? 当主の前で自分に恥をかかせた償いは、きっちりと払って貰わなくてはならない……などと考えていた時、スザンナはその妖精に違和感を感じとった。

 妖精の背中には羽があるが、目の前に居る妖精のそれは、ごく一般的な妖精の羽とは違い氷で出来ていた。それに妖精が近づいて来るたびに低下していく周囲の温度。
 間違いなく目の前の妖精は氷とか、冷気に属する類の妖精である。そんな妖精は紅魔館には所属していない。

「貴様、ここの妖精ではないな? どこから進入した? いや、ここを紅魔館と知っての狼藉か!?
 ……もっとも、知らなくても八つ裂きだがな!」

 スザンナは紅く光る目をつり上げ、鋭い牙を剥き出しにしながら、小さな侵入者に声を荒げる。
 その声だけで、普通の人間ならば腰が抜けるほどの迫力なのだが、氷の妖精にはそんな威嚇も効果はない。更にお構いなしとばかりに、ホール中央へと足を踏み入れた。

「そんな事知ってるわよ! あんたがレミリア……なんとかとゆー悪い吸血鬼ね! このあたいがやっつけてやる!」

 体格とは反比例した大きな声で、妖精は高らかにそう宣言した。

「――――――――」
「――――――――」

 そのあまりに堂々とした宣告に、レミリアとスザンナは一瞬息を飲み、

「……は、はははははっ!!
 何を言うかと思えば、これは傑作だ。お前如きが偉大なるレミリア様に敵うと本気で……いやすまない、私としたことが妖精の戯言をつい本気にしてしまったようだ」

 そしてまた、スザンナは笑い出した。
 玉座、という訳ではないが、それなりに立派な椅子に座っているレミリアも、口に手を当ててはいるものの、肩が小刻みに震えている。
 笑われたのがよほど腹に据えたのか、「馬鹿にすんなーっ!」と妖精は地団駄を踏む。その様子が面白くて、さらに笑いに拍車がかかる。

「はあ、それでわざわざそんな笑えない……いや笑える冗談を言いに来たのか? その命をかけてまで、な」

 まだニヤニヤと薄笑いを浮かべたまま、スザンナは妖精に尋問する。

「なによ! あたいはあんた達をやっつけにきたのよ! もうちょっと怖がりなさいよ!」
「おやおや、勇者サマがお怒りだ。
 ……だが、あまり図に乗るなよ、妖精。お前はお嬢様を二度に渡り侮辱した。本来はここまで侵入した時点で即刻排除されるべきなのだぞ?
 こうして生かされてなお、謁見を許されている事自体、大変栄誉な事なのだと知れ!」
「そーだ! あたい、あんた達に言いたい事があってここまで来たんだった!
 おい、レミリアなんとかという吸血鬼! これからあたいの言う事を守ってくれれば、退治するのは取り消してあげるよ!」
「これで三度……いい加減、貴様の戯言が耳障りになってきたぞ。
 今すぐ無駄口を止め、お嬢様に今までの無礼を詫びれば、せめて苦しまずに殺してやるがどうだ?」

 もはや我慢の限界とばかりにスザンナは妖精を排除しようとする……が、スザンナが動き出す寸前にレミリアがその動きを片手で制止させた。

「お、お嬢様!?」
「まあ待ちなさい。せっかくここまで来た久々の来客だ。すぐに潰してはつまらないだろう?」
「は、はあ……」

 また、お嬢様の悪い癖が出たか。スザンナは内心大きな溜息をつきながらも、それ以上の意見も具申も、ましてや心配する事など微塵もなかった。なぜなら、相手はただの妖精でなのである。

「それに、私は勇敢な者が好きでね。この館を紅魔館と知り、この私をレミリア・スカーレットと知った上でなお、挑んでくるその勇気を尊重しているのだよ。
 ――たとえそれが蛮勇だったとしても、だがね」

 レミリアは、失笑とも苦笑とも取れる小さな笑いを浮かべた後、こう切り出した。

「と、そこで聞きたい。おまえのような一妖精が、この私に一体何の用があるというのだ?」
「それじゃあ、よーく聞きなさいよ! あんた達きゅーけつきは、このでっかい館で沢山の妖精を無理矢理働かせているでしょう!!」
「無理矢理、だと……?」
「そうよ! ここでいじめられたってゆー妖精が、泣きながら逃げて行くのを、あたいはこの目で見たんだもの!!」
「ふん。ならその妖精に問題があるんじゃないの?」
「な、なんだとっ!?」

 目の前の妖精は、頭から湯気を噴き出しかねない程の勢いでいきり立つ。
 スザンナとしては目障りなので今すぐにでも消し去りたいが、レミリアが興味を持っている間は手出し出来ないのがもどかしい。

「まあ貴様ごときに説明しても仕方がないが、ここまで来たついでだ。説明してやるから有り難く聞け。
 確かに私達はある程度の妖精を雇っているが、きちんと食事や寝る場所を与えている。妖精の方もそれで了承したからこそ、この館で働く事に同意したのじゃないか?」
「しらばっくれてもダメよ! あたいにはぜーんぶわかっているんだからね!」
「――?」
「あんた達、働かせてる妖精を殴ったり蹴ったり刺したりしてるんでしょ!? なんでそんな酷いことすんのよ!?」

 無礼にもレミリアに向かって指を指してくる妖精の態度に、スザンナの心情は怒りで煮えたぎっていたが、所詮は妖精のする事、と割り切って考える事で幾分か怒りを抑える事が出来た。

「ふん、妖精は馬鹿だからな。いくら説明してもほとんど理解しないし、理解しようともしない。だとしたら、仕事を覚えさせるのに多少の体罰は必至なのだよ。
 それに、そのような体罰は通過儀礼のようなものだ。実際、私も見習いメイドの頃は厳しく躾けられたものだ」
「なによ! 羽をむしり取ったり、頭にナイフを刺すのが、きょーいくだって言うの!?」
「腕の一本や二本、千切った所ですぐ生えてくる存在の癖に生意気な事を。痛い目を見るのが嫌なら命令通りに働けばいいだけの話だ」
「だったら、そこまで無理して妖精なんて雇わなきゃいーじゃない!」

(……チッ! こいつ、馬鹿のくせに痛いところを……)


 かつて全盛期の紅魔館は、有能なメイドや腕利きの従者達を数多く抱えていたのだ。しかしこの幻想郷へと居を移してから起こした幻想郷武力侵攻事変、通称吸血鬼異変。
 その当時の激戦で先代メイド長を始め、古くからスカーレット家に仕えてきた、名だたる従者達の大半が戦死したり、紆余曲折の末に館から離れて行ったりしたのである。

 事変終結後に吸血鬼条約が結ばれ、人間からも妖怪からも一線を引かれた紅魔館は、それ以来人手不足がたたって、満足に館の機能を運営出来てはいなかった。
 その抜けた穴をなんとか埋めようと、そこらの野良妖怪や野良妖精を引っ張ってきては寝る場所と食べ物を与えて仕事をさせようとしたのだが……本来、妖精は自由気ままな生き物。そしてその外見通りに知性も低い。
 ほとんど使い物にならず、古参のメイド達や従者が力ずくで働かせようとしたところ、脱走者が続出という負の連鎖に陥ってしまったのである。
 そんな現状では、館に残っている妖精達の大半も、半ば監禁同然の扱いで逃げるに逃げられないでいるだけなのだ。

 もちろん、当初から妖精を住み込みで働かせる、という案に懐疑的な意見もあったが、これはレミリア自身の立案だったので誰も強く反対出来なかったのだ。紅魔館では当主が黒と言えば何でも黒、白と言えば夜空だって白なのだ。


「ふうん……それで、大切なお友達を助けるために、ここまで貴様一人で陳情に来たという訳か?」

 レミリアは片手で頬を支えながら、テーブルに寄りかかったままくすりと笑う。

「いやいや、実に感動的な話ではないか。
 ただ、残念な事に私は他人から指摘されたり注意される事が嫌いでね。この私が認めた者か、さもなくば私をねじ伏せるほどの強力な力を持った者でなければ意見を曲げる気はない。
 ――つまり、お前の陳情は却下だ」
「じゃあ、あたいがあんたをやっつけたら、あたいの言うことを聞いてくれると言う訳ね!」
「――――ふっ。……できるものなら、ね」
「お嬢様! ほ、本気ですか!?」
「あら? 私はいつでも本気よ。ただ……今回の場合は落第ね。せめてアレが門番クラスの妖怪なら、少しは話が違ったでしょうけど」

 レミリアはクスクスと笑い、そして吐き捨てるように言った。

「目障りだわ。……まあ、暇つぶしにはなったわね」
「お嬢様。それではもう、このゴミを片付けてもよろしいですね?」
「ふふっ、好きになさい」

 待ち侘びていた死刑執行の許可が下ると、スザンナはこの癪に障る妖精を目の前から消せる事に安堵していた。
 刃物のような爪を光らしながら、すでに彼女の頭の中には、眼前に立つ無礼極まりない愚か者にどのような死を与えるか、その思考のみで溢れていた。


 厳密に言えば妖精は不老不死に近い存在であり、物理的に肉体を損壊させた程度では完全な死は与えられない。
 しかし、散々痛めつけてから首でも刎ねてやれば、流石に二度と紅魔館に忍び込もうなどとは、あの馬鹿頭でも考えはしまい。
 それにはどうしたらよいか……? まずは足を切断しようか。それとも両目を抉ろうか。いや、時間をかけて指を一本ずつ潰していくのも悪くない。
 久々に肉を裂く感触を味わえる喜びが半分ほどあったが、それが雑魚なのだという不満も同じくらいあった。

(――まあ、せいぜい良い声で泣け。その間抜け面を、もっと醜く変貌させてやろう)

 内心、舌なめずりしながらもスザンナは構えない。構えを取る必要がない。妖精を相手にして、戦闘態勢を取る必然性などありえなかったからだ。

(――なんだ? あいつは相手の殺気も読めないほど馬鹿なのか?)

 構えこそしていないが、スザンナからは隠しもしない純粋な殺気が漏れる……というより意図的なまでに過剰なほど放たれている。
 たとえ格上の妖怪であったとしても――流石にレミリアのような存在は別格だが――その殺気を前にすれば二の足を踏むに違いない筈だ。それは、相手の気配や妖気を探る手段に長けた者であればあるほど、より顕著になる。

 だが、妖精は殺気を撒き散らしながら牙を剥くスザンナなど、気にも止めず無防備に歩み寄ってくるのだ。
 その光景は、まるで処刑場に赴く囚人のようであり、自殺志願もここまで極まったかと、スザンナは心底呆れ果てていた。

 だが、レミリアはその様子を鋭く見つめていた。
 レミリアは近づいてくる妖精の視線が、自分にのみ向けられている事に気付いていたからだ。レミリアと妖精の視線が一直線に交錯するが、妖精は決して視線を逸らさず、それどころか逆に睨みつけてくるのだ。

 この、レミリア・スカーレットに対して!

 ……面白い、とレミリアは心の中で愚かな勇者に喝采を送る。
 護衛は無視して大将首のみを狙う、か。戦術としてはまあ、あながち間違ってはいないとも言える。だが、スザンナは吸血鬼異変を生き抜いた強者。そんな彼女が妖精如きに出し抜かれ、自分への攻撃を許す筈がない。
 仮に億が一の奇跡が起き、あの妖精がスザンナを突破できたとして、それが何になるだろうか?
 妖精如きの腕力では、吸血鬼の肉体にかすり傷一つ負わせる事は出来ない。ならば魔法や妖術でも使うか。いや、妖精がそんな物を習得出来るとも思えないし、そもそも妖精には魔法や妖術を学習しようという発想自体ないだろう。


 あまりの馬鹿さゆえ、一旦は薄れた妖精への関心だったが、レミリアの中で再びこの妖精に対する興味が湧いてきた。
 妖精はなおも近づいて来る。すでにスザンナの必殺の間合いへと進入しているが、その歩みは止まらない。

「――チッ」

 スザンナもその妖精の視線と意図に気付いていた。だからこそ、雑魚に雑魚扱いされた激しい憤りが、舌打ちとなってしまったのだ。

(なんという馬鹿な……いや面白い妖精だ)

 そんなスザンナの憤りを横目で笑いながら、レミリアにはちょっとした好奇心が湧いた。
 戦闘にもならない戦闘。覆るはずのない勝敗。分かり切った結末をあえて見ないように心掛けていたが、レミリアは妖精の『運命』を見てみようと思ったのだ。


 その理由は、あの不貞不貞しくも無謀な態度の裏には何かあるのではないか、と思い始めたからだ。
 可能性は低いが、もしかしたら何らかのマジックアイテムでも隠し持っているのかも知れない。あるいは単純に、強力な爆薬という事もありえるか。
 それを何処で調達してきたのか、という疑問は置いておく事にする。とにかく、妖精は不死身なので最悪、相打ちになっても自身はいずれ復活出来る。いや、最初から自爆相打ちを前提とした行動だとしたら――あのような無謀な行動にも一定の説明がつく。

 だが、その推考には同時に大きな疑問符も付いてくる。自己中心的で知性の低い妖精が、他の妖精のためにそこまでの自己犠牲を容認する筈がないからだ。
 だから目の前の妖精の行動は、頭の悪い妖精の気紛れと無謀の産物。それ以外の何ものでもない筈なのだ。

 しかし、しかし、だ。あの妖精が『普通』の妖精ではなかったら?

 普通の妖精は他者のために動かない。
 普通の妖精は他者のために命を賭けない。
 そして普通の妖精なら、今この状況でなお私達に刃向うとする事など絶対にあり得ない。

 そこまで考えると、レミリアは先ほど否定した推測を再び呼び戻す。
 万が一、あの妖精が何らかの攻撃手段を有していると仮定して、それが即自身の命を奪うシロモノとは考え難い。
 しかし、爆薬であれマジックアイテムであれ、それらの威力次第では手傷を負ってしまう可能性もゼロとは言えない。


 今までは自身の能力を使うに値しない存在だと思っていたが、一度疑問を持ってしまうと何故かそれが無性に気になってしまう……というよりも、不思議な胸騒ぎを憶え始めたのである。
 あり得ないとは思うが、妖精如きの攻撃によって――たとえそれが自爆という、究極的かつ無差別的な攻撃であったとしても――擦り傷一つ……いや、服に煤一つでも付けてしまうような事態にでもなれば、それはレミリア・スカーレットという吸血鬼の面子と沽券に直結するのだ。

 そんなレミリアの心中を察してか、それともついに我慢の限界に達したのか。スザンナは眼前の異物を排除すべく、疾風を持って駆け出そうとした。
 もっとも全力を出す必要はない。それでも、ほんの一足で必要な距離を移動できる。そしてそれは妖精如きでは回避も防御も許されない速度なのである。

 スザンナは、まず狙う目標として右腕を選択する。気付いた時にはすでに切り落とされている、それは絶対に確約された一秒後の世界。

(さあ、愚かな妖精よ。己の血の海で溺れて死ね!)

 スザンナの右足に僅かに重心が片寄り、軸足となって床を蹴ろうとしたまさにその瞬間。ほとんど同時に、妖精の身体を覆っている冷気が急激に冷え込み、大ホールの室温が一気に低下する。
 さらにそれと同じ時間軸において、レミリアはテーブルに肘をついたまま、半ば興味半分で妖精の『運命』を視――――――――





「飛びなさい!!」

 何かが弾けたかの如く、レミリアは全力でその場から飛翔した。レミリアの体当たりにより飛散した大ホールの窓ガラスと窓枠は、細かな破片となり空中を舞いながら派手な音を立てて地面へと落下する。

「…………ぇ……?」

 それは、主の突然の行動に驚いた声であったのだろうか、それとも予想だにしなかった自身の敗北を認められない声であったのだろうか。
 しかし確かに発せられたその一言は、すでにレミリアにも妖精にも届く筈がなかった。

 レミリアは、館の外から自身が破壊した窓枠越しに、その光景を眺めていた。
 自分が先ほどまで優雅に寛いでいた椅子を中心として、大ホール内部の三分の一近くもの体積が氷塊により侵食され、その一部は天井にまで達している。
 すでに大ホールは巨大な冷凍庫と化しており、透明度の高い水晶のような氷塊の中で『冷凍保存』されているスザンナは、驚愕に張り付いた表情のままで時間までもが凍りついているかのようであった。


 ――思っていたようなマジックアイテムでも何でもなかった。あの妖精には、もとよりそんな物は必要なかった。何故ならば、あの妖精が持つ特殊能力は十二分に強力なものだったからだ。
 そう――自身の……吸血鬼の命をも奪いかねない程に……!

 妖精が持つには、余りにも不釣り合いな強力すぎる力。
 成る程、あれだけの力を有していたのならば、あの妖精は吸血鬼を退治する“刺客”としての最低限度の“資格”は持っていたという事か。

 ――危うかった。

 嘘偽りない、それがレミリアの本音だった。興味本位で運命を視なければ、今頃は自分自身もあの氷の中に閉じ込められていたのだから。
 背筋が寒くなるのは、おそらくこの冷気の仕業だけではない筈だ。と同時に、怒りが沸々と湧き出してくる。

 自身の優雅な時間を邪魔された事。
 思い出深き大ホールを破壊された事。
 腕利きの従者を一人失った事。
 そして、自身に恐怖を与え、なおかつ全力で待避させられた事。

 それら全てが、たかだか一匹の妖精により引き起こされたのだと思うと、さらに怒りに拍車がかかる。
 自分をここまでコケにしてくれた当の妖精本人は大ホールの中で何かを叫びながら地団駄を踏んでいる。その奇行はあまりに耐え難く、ホールごと魔槍の一つでも叩き込んでやりたい衝動に駆られるが、それをぐっと押さえ込むことに成功する。
 たった一瞬、たった一発で終わらせるには、あまりにも妖精の罪は深すぎる。ここはスザンナに代わり、あの妖精を教育してやろう。

(光栄に思うがよい。この私が、この手で、絶対の恐怖を教えてやるのだからな!!)

 これだけは自分の手でやらねばならない。他の者には手出しなどさせない。どれだけ一方的な殺戮になろうとも、この怒りと昂ぶりを押さえる事など、今の自分には到底出来はしないのだから……!


 と、そこまで考えてはたと気が付く。そういえば、他の従者はどうしたのだ? ……と。
 自分がホールから飛び出す際に破壊した、窓ガラスや窓枠などの砕け散る音は決して小さくはなかった筈だ。仮にも紅魔館に仕えている者達ならば、どれだけ熟睡していようと、あれだけの物音がすれば飛び起きて瞬時に駆け付けて来る筈……。
 不審に思ったレミリアが改めて周囲を見渡すと、静寂に包まれた視界に飛び込んできたその光景は、氷塊、氷塊、氷塊。

「……!! ……!?」

 レミリアは、瞬時にはその氷塊が存在する意味と理由を理解出来ずにいた。
 それらの中には、紅魔館が誇る最強の門番が、吸血鬼異変をも生き延びた屈強な従者達が、それぞれ詰め込まれていたからだ。
 ある者は門前で、ある者は中庭で、またある者は廊下やエントランスで。ざっと見渡しただけでも十個前後の氷のオブジェが静かに月明かりを反射していた。

「――――――――」

 言葉を失う、とは正にこういう事をいうのだろう。余りにも度の過ぎた驚愕が、言葉の発生という行為をも忘れさせてしまったようだ。

(何故だ? 何故、妖精如きがここまで出来る!?)

 ……いや、妖精だからこそここまで出来たのであろう。おそらくは門番も従者達も、侵入者が妖精だと油断して……端的に言えば侮っていたのだろう。
 まさか妖精がここまでの力を持っていたとは考えもしなかったに違いない。そしてその油断につけ込まれてしまったのだ。それは、つい先ほどの自分みたいに……。
 更に言えば、この館には大勢の妖精達が住み込みで働いている。その中に混ざってしまえば、潜入する事はさぞかし容易かった事だろう。


「く……くく……くくく……はーっはっはっはっはっはっ!!」

 レミリアは気が違えたかのように叫び、そして笑った。

「あの妖精は、ただの一匹でこの紅魔館を陥落しかけたのだぞ!? 難攻不落にして、かつては幻想郷に血と恐怖の戦乱をも巻き起こした、この紅魔館を!!」

 ――嗚呼、これが笑わずにはいられようか!

 レミリアの狂気とも思えるその声は満月の夜に木霊し、紅魔館の近くに棲息していた獣たちや、名も無き小妖怪たちは逃走を開始する。その様はさながら小規模な民族大移動とも例えられる程の異様な光景であった。
 彼らは、今これよりこの場所が地獄すら生ぬるい、煉獄の刑場になると本能で察知しているのだ。





 一体どれだけの間、夜空に猛っていたのだろうか。それは恐らく時計の秒針が、文字盤を一周するよりも短い時間だったのではないだろうか。
 だがそれだけの時間で、紅魔館の周囲からはすっかり生物の気配が消え去っていた。今、この場に存在するのはレミリアと妖精のみ。

 レミリアはぴたりと笑う事を止め、一呼吸してからゆっくりと背後へと向き直す。そこには大ホールから出てきた妖精が、ほぼ同じ高度で滞空していた。
 彼我の距離は、目算でざっと30ヤード前後。それ以上近づいて来る様子もなかったので、この距離での戦い――弾幕戦を念頭に置いていると推測する。

「へえ……驚いた。逃げなかったのね、貴女。……もっとも、逃がすつもりなんてなかったけれどね」
「なんであたいが逃げる必要があるのよ?」
「――まさかとは思うけど一応、訊いておくわ。この期に及んで、この私と『戦う』なんて選択肢を選んでいるんじゃないでしょうね。
 それがどれほど愚かしい事か、可哀相に貴女の頭では理解できないのね」
「ふん、あんたなんかまた氷漬けにしてやる!」
「言葉遣いが間違っているわ。そういう時は『また』ではなく『今度こそ』と言うべきね」
「そ、そんなのどっちだっていいのよ!
 とにかく、氷漬けにされたくなかったらあたいの言う事を聞くのよ!」
「あらあら、怖い怖い。あまりの怖さに手元が狂いそう……。こんなことじゃいけないわね。
 だって……手元が狂ったせいで、一瞬で終わらせたらつまらないもの……」

 レミリアは静かに目を閉じ、それまでの不敵な笑みを消した。不気味な静寂の後、その眼をかっと見開き、高らかに宣言する。

「吠えるな妖精!!
 お前は最大にして唯一のチャンスを逃した! もはやあのような奇襲など、私には通用しないと知れ!!
 泣き、叫び、無駄な抵抗と命乞いをしてみせろ!! 
 妖精が不死身だと言うのなら、蘇生すら望まぬほどに切り裂き、何度でも内蔵をえぐり出してやる!!」

 すでにレミリアの優雅さや気品さといったものは、全身を蝕む憤怒に取って代わられていた。

「さあ――こんなにも月が紅いから……本気で殺すわよ」
「ふん! さいきょーのあたいが、あんたなんてやっつけてやる!」

 満月を背に、吸血鬼と妖精の影が怪しく映る。
 一方は幻想郷のパワーバランスをも左右する吸血鬼、そしてもう一方は幻想郷でも最下層に位置するはずの妖精。
 その二つの影は、向かい合ったまましばらく微動だにしなかったが、最初に動いたのは妖精の方だった。


 妖精は両手をかざし、周囲に氷塊を展開していく。左右に放たれた何十という氷塊が突如その軌道を変更すると、弾幕となって交差するようにレミリアへと集中する。

「――遅い!」

 氷塊の群れがレミリアへと到達する寸前に、レミリアの姿は幻の如く掻き消えた。

「がっ!???」

 そして消えたはずのレミリアが再び現れたとき、レミリアの幼子のような指は、なんの慈悲も容赦もなく妖精の顔面を穿ち、右目眼球を押しのけて挿入されていた。

「あ……あ……」

 妖精の残された左目が大きく見開かれ、何故、とばかりにレミリアを凝視していた。
 レミリアにとっては単純に高速移動しただけなのだが、そのあまりの飛翔速度に妖精としては空間移動でも行ったかのように捉えきれなかったのである。

「闇空を制する吸血鬼の速さを見誤ったな。伊達にこのような翼を持っている訳ではないぞ」

 ぐりん、と指を動かす。生卵の如くいとも簡単に眼球が潰れ、内部の液体が指にまとわりつく。

「うあああああああっっぁっ!!!!」

 突き刺した指を眼球内で動かすたびに、心地よい絶叫がレミリアへの耳へと届き、怒りに満ちた心を潤した。

「あら? もしかしてこれで全力という訳ではないだろう?
 処刑の時間は、まだ始まったばかりだというのに」

 激痛に悶えながらも、妖精は何とかレミリアの束縛から逃れようと、足をぱたぱたと動かし、レミリアの身体を蹴り続けた。

「は、はなせっ! 離せっ!!」

 しかし妖精程度の脚力では、何度蹴ろうともレミリアにとってみれば蚊に刺された程度の効き目もなく、その束縛から逃れることは到底適わない。

「はっ、いいぞ。もっと足掻いて見せてみろ」

 レミリアは、さらに甘美な泣き声を上げさせてやろうと指に力を込めた時、妖精は自身の顔面を抉っているレミリアの腕をしっかりと掴みかかった。

「――!! させるか!!」

 妖精の意図を瞬時に判別したレミリアは、顔面に指を突き刺したまま、振り抜くようにして強引に投げ飛ばす。
 まるで投石機から射出されたかのような加速度で投げ飛ばされた妖精は、姿勢を制御する暇すら与えられず、紅魔館の屋根へと激しく激突した。
 そのまま動かなくなった妖精の事など眼中にもなく、レミリアは自身の右手を丹念に確認する……が、指先から手の甲までが凍りつき、完全に氷結化してしまっていた。

「チッ……!」

 舌打ちしながら右腕の肘から先を一度、蝙蝠へと変化させる。十数匹程度の蝙蝠がレミリアの周囲を飛び回る中、凍りついた二匹の蝙蝠がそのまま地面へと落下していった。
 腕を元に戻しながら、レミリアは紅魔館の屋根に突き刺さっている妖精を見下ろしていた。その様は実に滑稽で、もしあれをオブジェとして飾ろうという従者がいたならば、即刻解雇を言い渡すだろう。


 レミリアの周囲を飛んでいた蝙蝠の群れが再び収束し、依然と何ら変わらない自身の手が再現される。
 蝙蝠二匹程度の損失では、戦闘には何ら影響しないとはいえ、紛れもなく妖精に手傷を負わされたという事実は残った事になる。

(この私が……妖精如きに手傷を負っただと……?)

 妖精に追撃する事も忘れ、しばらく右手を眺めていたレミリアだっが、下の方で起きた物音にふと我に返る。
 視線を向けてみると、紅魔館の屋根には隕石でも落下してきたかのような大穴が開いており、その中から妖精がよろめきながらも立ち上がろうとしている所だった。

「……ほう」

 どうやら妖精はまだ戦うつもりらしく、少し足を引きずりながらも紅魔館の屋根から飛び立ち、再びレミリアの前方へと移動してくる。ただし、今度はかなりの距離を取っている。
 その距離は50……いや、60ヤードはありそうだ。さすがに馬鹿の代名詞たる妖精でも学習はするようである。
 だが、高度はレミリアよりやや低め。高低差の優位を捨てるのは何か意味があるのか、それともやはり妖精の知能不足か。

「いいわよ。そうでなくては面白くない」

 レミリアは軽く腕組みをしたまま妖精の出方を待つ。先ほどの攻防(と呼べるかどうかは疑問だが)によって、妖精の大体の力量は把握できた。
 やはり物を凍らせる能力だけはそれなりに強力だが、それ以外の能力――例えば腕力や耐久力、飛行速度などは、そこらの妖精とほとんど大差はない。

 したがって、冷気にさえ気をつけていれば何ら恐れる相手ではない。
 つまり、これはレミリアの絶対の自信と余裕である。その気になれば今すぐにでも首を落とす事は可能だが、それで事を終わらせるのはつまらなく、そして許せないのだ。

(この私を怒らせた以上、最後の最後まで私を楽しませる事。それがあの妖精に出来る、ただ一つの罪滅ぼしなのよ)

 妖精の放つ弾幕など、後手に回っても全て回避できる。そんなレミリアの余裕な態度など知ってか知らずか、妖精は今度も先手必勝とばかりに氷の弾幕を視界一杯に連射してくる。

「ははっ、何処を狙っている!
 ――――むっ!?」

 だが、その弾幕は先ほどとは違い、かなり拡散するタイプの弾幕のようだ。
 どうやら妖精は、威力重視から手数重視に弾幕を切り替えたらしい。複数の違うタイプの弾幕を使いこなせるというだけで妖精としては破格だが、レミリアの身体能力を持ってすれば、この程度の弾幕を回避するのは何ら問題でもなかった。

「下手な鉄砲は、どれだけ数撃っても当たりなどしないわ」

 レミリアはまるでダンスを舞うかのように、軽やかに妖精の弾幕を躱していく。
 それは美しくも挑発めいた夜空の舞踏会。目を瞑り、手を叩いても妖精の放つ弾幕はレミリアにとっては、欠伸が出るほどの速度でしかなった。

 右へ左へ。軽やかなステップを空中で刻む。当ててご覧なさい、とばかりに調子に乗ったレミリアが弾幕を紙一重で避けた時、妖精から集束された指向性の直進弾が撃ち出され、弾幕と弾幕の間にいるレミリアへと突き進んでくる。

「……おっと危ない!」

 レミリアは氷弾幕の隙間からするりと抜けだし、空中で身を捻りながらその直進弾を回避する。僅かコンマ何秒後かに、直進弾が氷塊を砕きながらレミリアが寸前までいた空間を貫いて行った。

「……広範囲拡散型の弾幕と、直進貫通能力を持つ指向性弾幕の組み合わせ、か。妖精の弾幕としては中々に強力だが――当たらなければ意味はない!!」

 吸血鬼の動体視力と身体能力の前では、この程度の弾幕は通用しない。レミリアの表情には、絶対の自信からくる笑みが零れていた。
 さて、そろそろ反撃の一つでもして見せようか? などと考えていた時、一発の氷弾がレミリアの頬をかすめて飛んで行く。

「!!」

 そこでレミリアは、妖精の放つ弾幕が徐々にその誤差値を狭めている事に勘付いたのである。

(――――妖精如きが、弾幕の弾道修正だと?)


 三次元空間上で移動する物体を捕捉し、自身の撃ち出した弾を命中させるという行為は、実はかなり難しい。
 自身と標的の、それぞれの縦・横・高さの位置、移動方向、移動速度、それに高低差、距離、弾の速度に射程距離、空気抵抗による減衰、風向や風力、気温、湿度、時には重力や地球の回転といった、あらゆる事象が影響する。
 長い年月を生きた強力な妖怪の中には、緻密な計算の元に軌道を割り出し弾を撃ち出している者もいるが、ほとんどの妖怪たちは勘と経験を持って、だいたいの方向を決めて撃ち出している程度である。

 妖精が複雑な数式を用いて弾幕を撃ち出しているとは考えられないので、恐らくは多くの妖怪たちと同様、長年培ってきた勘や経験を元にしているのであろう。
 つまり、それは妖精が『経験』を積めるほど弾幕戦を行ってきた、という証左でもある。

(あの妖精は、かなり戦いの“場数”を踏んでいる……!)

 そうでなければ、吸血鬼たる自身のスピードに、それも片目を失った状態でここまで正確に弾道修正できる筈がない。
 だが、そこが問題なのである。何故なら、妖精という種族は本来戦闘などとは無縁の生き物だからだ。

(……何故、妖精がここまで戦闘慣れしているのだ?)

 妖精が場数を踏むほどに戦闘を経験している事自体、すでにおかしい話なのだ。
 しかも、過去の戦闘経験を基にして弾幕を展開し、必要ならばそれを修正するなど妖精としての在り方として、おかしいというレベルを超えて異常である。


 妖精は、レミリアから60ヤード前後の距離を必死で保ちながら、懸命に弾幕をはり続けている。と、その時再びレミリアの眼前を一つの氷弾が掠めていく。

「……くっ、うざったい!!」

 レミリアは回避を止め、空中で静止すると両手に魔力を集中させる。
 瞬時にしてレミリアの周囲が夏場の蜃気楼のように歪み、本来は見えるはずもない魔力の渦が、目に見える気流となってレミリアに集中していく。
 それはあまりにも高すぎるレミリアの魔力が引き起こす、副次的な現象だった。

「妖精にしては面白い弾幕だが、まだまだ生ぬるい!
 さあ、残された眼で良く見るがよい! そしてその身体をもって味わうがよい! 本当の弾幕というものを!!」

 レミリアの両手からは、レミリア自身の背丈より巨大な魔力の塊が何十と撃ち出された。
 それは妖精の撃ち出した小さな氷弾を瞬く間に吹き飛ばし、または飲み込んでなお衰えず空間を侵攻して行き、今度は妖精が弾幕を回避する番となる。

 妖精は、巨大な弾幕を死にものぐるいで回避していくが、レミリアがさらに弾幕を数十という単位で連続して撃ち放つと、その回避運動にも限界が見え始めてきた。
 なにしろ、レミリアの魔力弾はほんの少しかすっただけで、鎌鼬(かまいたち)でもに巻き込まれたかのようにすっぱりと削り取られるのだ。回避する際は、かなり大きく避けなければ、ただそれだけで削り殺されてしまいかねない。

「ははははっ、どうした!? そら、もっと真剣に避けないと被弾してしまうぞ?」

 次から次に撃ち出される強力な弾幕の前に、妖精は次第に逃げ道を失って行く。逆に言えば、こうして何度も弾幕を回避している事が驚愕なのだが……。
 だが、妖精のけなげな健闘も空しく、不運にも重なりあった魔力弾が到達すると、ついに妖精の回避運動は限界を超えてしまった。

 なんとか弾幕の隙間をかいくぐろうとしていた妖精だったが、その隙間自体がなくては話にならない。必死に潜り込める空間を探していたが、魔力弾が高速すぎてようやく回避できそうな隙間を見つけた時には、魔力弾は妖精の目前まで迫っていた。
 妖精はそれでもダイブするかのように、頭から弾幕の隙間へと飛び込んで行く。何とか上半身を弾幕の隙間に潜り込ませる事に成功したが、下半身までは間に合わなかった。

「……ぎ……っ!!」

 レミリアの魔力弾は、妖精の左太ももの肉をいとも簡単に削ぎ落として行く。被弾部分からは白い大腿骨が露出し、しばらく時間を置いて血を噴出し始める。
 それでも、この程度で済んだのはまだ奇跡的とも言えた。まともに被弾すれば、今頃は全身が白骨化していただろう。


 ともかく、被弾のせいで一時的に停滞してしまった妖精は、一旦仕切り直して距離を稼ぐつもりだった。この隙にレミリアに接近されては、妖精に勝ち目はないからである。
 妖精は出血部分を押さえながら反転したが、背後には爪を研ぎ澄ましたレミリアが待ちかまえていた。

「あら? 何処へ行くのかしら?」
「――――!!」

 妖精は驚愕しながらも、瞬時の判断……というよりもほとんど動物的な勘により、90度近い急激なターンを成功させ、レミリアの初撃を何とか回避した。
 レミリアの爪が鋭く弧を描いた後、妖精の髪の毛が数本、ひらりと宙を舞う。

「……よくぞ躱した。とりあえずは褒めてやるが、次からはどうかな?」


 こうした高度な空中機動を行えるのは、やはり羽を持つ者の特権だろう。
 いかに強力な妖怪といえど、羽を持つ者と持たざる者では、少なくとも機動力に置いて一日以上の差があるものだ。それは、努力や才能とは全く違うベクトルを持った、種族としての優位差と言える。

 だが、今回は話が違った。羽を持っているのは妖精だけではない。レミリアもまた、種族として羽を持っているのである。
 全力で離脱しようとしていた妖精に簡単に追いつくと、レミリアはその爪を持って妖精を蹂躙する。

 妖精はレミリアを振り切ろうと右へ左へと激しく方向転換し飛び回るが、レミリアの機動力は妖精を完全に上回っており、逃げ切る事など許されなかったのである。


 レミリアの二撃目が旋回しようとしていた妖精の左肩を抉る。速度を落としつつも、それでも逃げ切ろうとする妖精に対し、レミリアは攻撃の手を緩めない。
 続いての三撃目は左耳を落とした。

 絶叫しながらも、ほぼ零距離で弾幕を放とうとする妖精の指を無造作に薙ぎ払う。
 妖精の右手からは小さな指が四本、ぽろぽろと別離していく。慌てて手を引っ込めた隙に脇腹に五撃目。
 出てはいけないモノが腹から飛び出しかけ、妖精はそれを両手で押さえ込む。

 前屈みとなり、無防備となった妖精の背後に素早く回り込むと、その背中に無慈悲な最後の一撃が加えられ、氷で形成された羽が美しくも無惨に砕け散る。
 空中にキラキラと輝く氷片と鮮血を撒き散らしながら、妖精は紅魔館の城壁近くへと墜ちて行った。

「――ふむ。やはり妖精の血は薄味だな」

 手に付着した血を軽く舐め取り、所詮はこの程度か、とレミリアは呟いた。

「……脆すぎる。
 まあ、妖精という事を考えれば奇跡的な善戦とも言えたが……」

 レミリアが今まで戦ってきた連中と比較すれば、それほど特筆すべき強さではない。しかし、それが妖精となると話は別だ。
 これほどまで強力な妖精など、見た事も聞いた事もない。おそらくは妖精という種族カテゴリーの中では間違いなく最強の部類には入るだろう。
 だが、所詮は妖精。どれだけ力の強い鼠が居ようと、獅子の前では等しく餌となるしかないのだ。





 レミリアは勝利を確信していた……というよりも、最初から勝利以外の選択肢など存在しない戦いだった筈だ。
 妖精の意外性に少しばかり手を焼いたものの、小手先の技術を駆使した所で、種族としての圧倒的な優位差をひっくり返せるには至らなかった訳だが、それもまた最初から決定していた事である。

「生きていたとしても、すでに戦闘不能だろうな」

 戦闘不能どころか、あのまま終わっていてもおかしくはない傷である。少なくとも、腹部と背中の傷は致命傷であり、レミリアとしてもいたぶり方が足りなかったかな、と少し後悔している程だった。

「ま、息があれば適当にトドメを刺して、早々に氷漬けになった奴らの解氷をせねばなるまい」

 また、友人である魔女の手を煩わせる事になってしまうな、と思いながらもレミリアは妖精が墜ちていった周辺を見渡す。茂みの中にでも墜ちていたのならば、わざわざ探すのは手間だが正門に近い辺りに墜ちたはずだから、見つけるのは容易なはずだ。

(お、あそこか)

 さほど苦労もせず、視線を落とすだけでレミリアは地面に突っ伏している妖精の姿を発見できた。

(どうやら少々、力加減を間違えたようだな……)

 血だまりの中の妖精は胴体や頭、両手足とも健在で、まだ人の形を留めているが、微動だにも動く気配はなかった。もとより動く筈などなかったのだが。

(もう少し、遊んでやってもよかったが……まあ、死に顔でも見るとするか)

 レミリアは妖精の死を確認するため、高度を下げようとした時だった。
 何本か残っている妖精の指が、かすかに、だが確実に動いた事をレミリアの視力は見逃さなかった。

「!!!!」

 出来れば、完全にトドメを刺すまでは息があって欲しいものだ、というレミリアの願いは叶えられた。
 だが、それは同時にレミリアに最大限の衝撃を与える結果となる。何故なら、それは完全に意図していない光景だったからである。

「あだい……は、まだ……まげでない……わ、よ……!」

 血だまりの中から声が聞こえる。紅い水たまりの中から這い上がる姿が見える。
 妖精は血と贓物を引き摺りながら、腹這いで紅魔館の城壁にたどり着くと、その壁にすがるように身体を起こし、そして立ち上がっていく。

 馬鹿な、とレミリアの口から漏れた言葉は一体何だったのか?
 怒号か? 罵声か? 唖然? それとも或いは感嘆だったのかもしれない。

 レミリアの爪は妖精のはらわたを深く抉った。腹の中で、自分の爪が小腸や大腸を切断していく感触が確かにあった。
 事実、細断された腸の一部が、体外に噴出したのも確認した。
 背後からの一撃では、羽ごと背骨に食い込むほどの一撃を食らわせた。背骨はもとより、肩胛骨や肋骨なども損傷しているに違いないはずだ。

 妖精は元より、そこらの妖怪ですらこれだけの傷を負えば、戦闘続行は完全に不可能な筈である。
 この自分が、こと戦闘に関して初心者のような戯けた間違いを犯す筈がなかった。レミリアは間違いなく、致命に関わる十分な手応えを感じていた。それは絶対の筈だった。

(……ならば何故、何故――――ここに妖精が立ち、私を待ちかまえていられるというのだ!?)

 口から血の泡を吹き、流れ出した血液で地面に大きな血だまりが形成されている。
 青かった服は、最初からそうだったかのように赤く染まっている。
 それでも……紅魔館の城壁に背中を預け、確かに妖精は立っていた。
 立ちながら、レミリアを睨むように見上げているその瞳には、一片の澱みもなかった。
 それは、戦闘続行の有無を言わせぬ証でもあった。

「――――――――」

 ここに来て、初めてレミリアはこの妖精に『敵』としてのはっきりとした認識を抱いた。それは強さとか弱さではない、戦士が戦場において共有する、誇りや在り方といった意識的な問題である。





 紅魔館の当主となり、最低でも人間の寿命分以上の年月が流れた。
 その間、自分の命を狙う他勢力の妖怪や吸血鬼、人間のヴァンパイアハンター達と数え切れないほど、血で血を争う闘争を繰り返してきた。

 名誉や信仰、正義というくだらない感情のために戦う者もいれば、金や復讐、支配欲から戦いを挑んでくる者もいた。
 だが、それらの大部分に共通して言える事は、最初は威勢の良いことを叫んでいても、こちらの力が遙かに強大だと解れば、掌を返したように卑屈になる奴らばかりだった。

 ある者は泣き叫び、命乞いした。ある者は仲間を見捨てて逃げようとした。中には、眷属にしてくれと懇願してくる者すらいた。
 そんな連中の中で、最後まで己の信念や生き方を貫き通せた者のなんと少ない事か。

 それに比べて、これほどの優劣を見せつけ、致命となる傷を負ってなお、眼下の妖精はいまだに戦いを続行するつもりらしい。それどころか、自身の勝利を諦めていない。
 今もなおレミリアを征伐し、妖精を解放出来ると本気で信じている。

 例え、それがどんなに無知で、無謀で、愚かであったとしても――――今まで手を下してきた、有象無象のくだらない虫けら共よりは、我が一族の『敵』として相応しかった。





「正直、驚いたぞ。よもや妖精如きがこれほどの気概を見せてくれるとはな。だが、それも実力が伴わなければ只の愚者だ。
 ――名も無き妖精よ。貴様を我が“敵”として、最後の引導を渡してやろう」

 レミリアは両手に魔力を集中し始めるが、それが撃ち出されるより早く妖精は飛翔した。背中の羽は半分以上砕け散っており、空を飛ぶだけで体中から血が滴り落ちる。
 一体どこにそれだけの力が残っていたのか不思議なほどだったが、そのあまりに痛々しい姿を、レミリアは冷めたい目で見ていた。

「まだ、足掻くか」
「う…るざ……い!」

 たっぷりと100ヤード近い距離を保つと、妖精は三度目になる弾幕戦を挑んできた。
 だが、それも前ほどの勢いはない。ほとんど出鱈目に撃っているような、やけっぱちとも思える弾幕だった。

「あだい、は最強……なんだもん!!」

 泣き声の混った声で、妖精が叫ぶ。
 レミリアの周囲を氷の弾幕が掠めていくが、密度の薄い弾幕など避けてくれと言っているようなものだった。当然の如く、レミリアは軽くそれらを回避していく。

「……座して死ぬより、戦って死ぬ方を選ぶ、か。見上げた根性だが……まあ、いいだろう。これで終わりにしてやる」

 レミリアは介錯とばかりに、かなり全力に近い魔力弾を放つ。それも大小入り混じった弾幕が優に百は超えている。
 それらレミリアの魔力弾幕が、先ほどと同じように妖精の氷弾幕を駆逐しながら、濁流の如く妖精へと押し寄せて行く。
 妖精の負傷度合いを考えれば、ほとんど満足な回避運動すらとれないだろう。魔力弾に飲み込まれ、骨まで吹き飛んでこの戦いは終わる……筈だった。

 だが次の瞬間、妖精が今までに見た事もない弾幕を形成し始める。
 今までの氷弾や直進弾とはまるでタイプの異なる、あえて表現すればレミリアの魔力弾に近いとも言えた。……もっとも、その規模は比較にはならないが。

「なんだ? この期に及んで、切り札でも取っておいたのか?」

 しかし、それも無駄な足掻きである。
 たとえどんな弾幕であろうと、自身の魔力弾を相殺出来るほどの強力な弾幕を張れる者など、レミリアが知る限り二、三人くらいしか思いつかない。
 妖精から放たれた弾幕はレミリアの弾幕と交差するが、先ほどまでと同様にその大部分が魔力弾に飲み込まれ、消え去っていく。

(やはり、こけおどしだったか)

 レミリアが心中でほくそ笑んだときだった。突然、レミリアのほぼ全ての弾幕が凍りつき、その動きを空中で停止していく!

「な――!!?」

 さすがのレミリアもこればかりは我が目を疑い、声を荒げる。
 己の魔力を凝縮した魔力弾。百近い眼前のそれらすべてを凍りつかせるなど、親友である魔女の魔法を持ってしても不可能……とまではいかなくとも、相当に困難な筈である。

「まさか――あの妖精の能力は、単純な冷気操作ではなかったという事か!?」

 妖精がレミリアをも上回る魔力を持っているとは到底考えられない。事実、そういった兆候はまるでなかった。
 だとすれば、残る可能性は魔力そのものを凍らせた……つまり、もっと根源的な部分――魔力を含むあらゆる物質の源、それらに直接干渉しているとでも……!?

「あ、ありえない! ありえる筈がない! そんな能力、妖精が扱うにはあまりに不釣り合いすぎる!!」

 冷静さを欠いたレミリアが、そのあり得ない光景に目を奪われていると、なんと凍りついたレミリアの弾幕が、あろう事か自身の方へと移動して来るではないか!

「ば、馬鹿なっ!!?」

 レミリアはここに至り、完全に動揺してしまっていた。その油断と動揺の落差が、目の前の弾幕に対する対応を遅らせてしまったのである。
 レミリアが冷静さを取り戻した時には、凍りついた魔力弾はレミリアへと肉薄してしまっていた。

「くっ!」

 レミリアは皮肉にも、自分自身が撃ち出した弾幕を回避する羽目になってしまった。
 妖精の弾幕はまだどうとでも出来るが、自分の魔力弾の威力は自分が一番良く知っている。妖精の肉体が虚弱だとはいえ、かすめただけで肉を抉っていく威力である。まともに被弾すれば、レミリアといえど腕の一本は持って行かれるだろう。
 それ故に回避に徹しなければならないのだが、魔力弾は何故か不規則な運動を行っており、回避が極めて難しい。
 しかも、魔力弾は魔力を凝縮した爆弾のようなもの。下手に迎撃して連鎖爆発させてしまっても不味い事になりかねない。

「ぐはっ!?」

 おちつけ、と自分に言い聞かせ、弾幕の薄い部分を探していた時、レミリアの腹部に突然の激痛が走る。何事かと見てみれば、脇腹に氷塊が突き刺さっていた。

「!!」

 慌てて顔を上げてみれば、視界を覆い尽くす魔力弾幕の向こうで、妖精が氷弾幕を撃ち出しているのが僅かに見て取れた。

(小賢しい真似を……!!)

 妖精の左右両方から伸びた氷塊が、向きを変え一定の距離で交錯するように撃ち出されているそれは、一番最初に妖精が使用した弾幕のパターンだった。
 確かに弾幕が最終地点まで到達すれば、嫌らしい事この上ない弾幕だったが、それまでに要する時間は長く、また正面が手薄になりやすい。
 だが、今の状況ではまさにうって付けの弾幕といえた。レミリアは自分自身の弾幕を回避している真っ最中で、妖精まで接近できないからだ。
 一定の距離が保たれれば、この弾幕の難易度は急激に跳ね上がる。


 傷自体は深くはない。この程度の傷、放っておいても数分で治る。だが、そう何発も被弾してはさすがにダメージが蓄積するし、回避運動にも支障が出る。
 そこに魔力弾の直撃でも受けようものなら、さしものレミリアも無視できない怪我を負ってしまう事だろう。
 そうしている間にも、妖精の氷弾幕がレミリアの行動範囲を圧迫し、今や完全に敵性弾幕と成り果てた自身の魔力弾が迫り来る。

 レミリアの魔力弾では、同じ魔力弾を近距離で迎撃出来ない。凍りついているとはいえ、元は自分自身の魔力の塊である。いわば、不発弾を爆弾で吹き飛ばすようなものだからだ。
 しかし、妖精の氷弾幕はその名の通り凍っている氷の塊なので、誘爆の恐れがない。こちらは手出しできないが、向こうは遠慮無く弾幕を張れるのである。

 小癪な、とレミリアは毒づく。

(……まさか、ここまで計算に入れていたとでも……?)

 そんな事があるはずがない、これはただの偶然の産物の筈だ。たまたま自分の得意とする弾幕が魔力弾であり、妖精の得意とする弾幕が氷弾だった、それだけの筈だ。
 しかし、今はそれよりもこの弾幕を回避する事に専念するべきだ。この魔力弾さえしのぎきってしまえば、妖精には切り札がなくなる。
 そうしたら、後は弾幕など使わずに直接攻撃で十分カタが付く。

 氷弾の交錯部分の隙間を縫うようにレミリアは避け続けたが、目の前に迫った魔力弾を避けようとした際、羽に弾幕の一部がかすり体勢を崩してしまう。
 それに一瞬気を取られたのが不味かった。一度タイミングを外すと、後はまるで蟻地獄の中でもがく蟻の如く、弾幕の袋小路ともいうべき領域に追いつめられてしまう。

「……くっ、しまった!!」

 こればかりはレミリアといえど、どうしようもなかった。なぜなら、ある程度のパターンを形成している妖精の弾幕はともかく、魔力弾の方は予測も付かないアトランダム運動をしており、これらをすべて読み切る事は吸血鬼の動体視力を持ってしても不可能な事だったからだ。

「くそっ、この私がっ!」

 急速に狭まる視界。背後には氷弾幕、眼前には押し寄せる魔力弾。上下左右前後を弾幕に挟まれ、すでに抜け出せるほどの隙間すら喪失していく。

「――舐めるなぁっ!!」

 数発の魔弾が爆発すると、それが起爆剤となりレミリアの周囲に浮遊していた魔弾が一斉に連鎖的な大爆発を起こす。
 火薬を何千ポンド分も積み上げ、一気に火を放ったかのような巨大な爆発は凄まじい爆風を発生させ、周囲の木々を根本から大きく揺らし、紅魔館の窓ガラスの大部分にひび割れを生じさせるほどだった。

 何者もこの爆発の中では生きていられないのではないか、と錯覚させるほどの大爆発だったが、その噴煙が収まってくるとほぼ無傷のレミリアがその中から姿を現す。
 ――自身の身長の数倍たる魔槍を、その手に掲げて。





 レミリアは弾幕が被弾する直前、魔槍を喚び出し弾幕を斬り払った。
 魔槍の威力は凄まじく、発生した圧倒的な破壊エネルギーは魔力弾や氷弾はもとより、爆発で生じた衝撃波などもすべて外部へと押し返したのである。

「…………まさか妖精相手に、この槍を使う羽目になるとは思わなかったぞ」

 ――グングニル。北欧神話において、絶大なる知名度を持つ最高神オーディンが持つとされ、一度投げ放たれれば必殺必中。あらゆる物を貫き、外す事は決してない。敵を仕留めた後は、持ち主であるオーディーンの元へと戻って来る伝説上の神槍。
 レミリアは自身の魔槍に、その偉大なる名を冠したのだ。ただし、単に名を騙っただけの模造品という訳ではない。
 その威力は、薙ぎ払っただけで両者の弾幕をすべて消し飛ばした事実として、すでに実証済みである。レミリアの奥の手であり、同時に絶対必殺の武器であった。


 高い身体能力と魔力を持つレミリアは、ただそれだけで大抵の敵には勝ててしまう。
 レミリアがこの槍を手にするときは、素手では適わないと判断した時のみ。そんな戦いなど、レミリアの生きてきた長い年数の中でも、片手の指で事足りた。
 それ故に、妖精如きに自身の禁じ手ともいえる魔槍を使わされた……というより、使わざるを得ない状況にまで追い込まれたのが、レミリアのプライドをズタズタに引き裂いていた。

「妖精如きに使うには些(いささ)か不相応だが……これまでの敢闘の褒美だ。我が魔槍の威力、冥土への手土産として刻みつけてやろう!」

 矛先を妖精へと突き付け、レミリアは魔槍に全魔力を注ぎ込む。
 そんな事をしなくても、魔槍の先端が触れただけで妖精の虚弱な肉体など、跡形もなく吹き飛んでしまうだろう。だが、すでにレミリアはそんな事はどうでもよくなっていた。
 ただ、全力で目の前の敵を消す、それだけが今のレミリアの思考だった。

「……?」

 と、妖精はレミリアより少し低い高度までふらふらと上がってくると、目の前に氷の壁を形成し始めた。

「は、まさかとは思うが……そのようなチャチな盾で、我が魔槍を食い止められるとでも思っているのか?」

 対する妖精は無言。
 盾を作るのに集中しているのか、それとも減らず口を叩けるだけの体力が残っていないのか。

 ……今、こうしている間にも魔槍を軽く投げつければ、それで事足りるが……それではつまらない。
 この槍を持ち出した以上、天地がひっくり返っても負ける事などない。ならば、妖精には全力を出し切って抵抗して貰わねば割に合わない。もちろんそれはレミリアの満足度が足りない、という意味だ。
 妖精が氷の盾で受け止めようと足掻くのなら、それごと粉砕してやればいい。それぐらいの余興がなければつまらないのだ。

 それにしても、残り少ないタイムリミットの中で、わざわざ余力を削ってまで防御に回る行為は理解に苦しむ。
 そんな事に残りの力を注ぎ込むのなら、まだ弾幕の一つでも張った方がマシだというのに。





 レミリアが見守り続ける間にも氷の壁は大きく、厚くなっていき、ついには紅魔館の城壁をも越えるほどの巨大な氷の『城壁』と化した。
 それが氷であるという事を忘れるくらい素晴らしい透明度で、50インチ以上はある厚さにもかかわらず、まるで磨き抜かれた硝子のように向こう側が見て取れた。

(どうやら準備は終わったようだな……)

 盾の向こう側で、妖精は攻撃に備えているかのように身構えている。それがまったくの無駄な努力になるとも知らずに。

 レミリアは思考する。否、何を考える必要がある?
 我が手にあるは、無双無敵の魔槍。その威力にレミリアは全幅の信頼を置いている。
 全魔力を篭めて投擲(とうてき)すれば、それを遮る事など不可能。

 ――もっとも、以前……吸血鬼異変の時、一度だけこの槍を四重の結界で受け止めきった者がいたが――今回とは事情が違う。
 たとえ、あの氷が鋼鉄と同程度の硬度を持っていたと仮定してもなお、我が魔槍を受け止めるなど不可能なのである。

「盾ごと蒸発して消え去れ!!」

 レミリアは全身を発条(ばね)のように捻り、力を凝縮する。
 魔力を極限まで貪り、その身に溜め込んだ魔槍は紅き魔力で溢れかえり、己が身に血を浴びる事を待ち望んでいるかの如く胎動し始めた。

「奔(はし)りなさい――――我が愛槍、グングニル!!!!」

 腰から肩、そして腕へと寸分の無駄もなく溜め込まれた力を開放し、爆発させる。吸血鬼の腕力に加えて魔力でブーストをかけ投擲された魔槍は、レミリアの手を離れた瞬間から音速の域にまで加速する。
 衝撃波を伴い射出された魔槍は、瞬きも出来ぬ刹那の時間で妖精の築いた氷の城壁へと到達、一瞬の抵抗すら許さずそれを貫通、粉砕した。
 それでもなお寸分の威力も衰えない魔槍は、その超速度のまま遙か後方の小高い丘へと飛翔し、地面深く突き穿つ。

 直後、槍に蓄えられていた魔力が氾濫し、巨大な爆発が生じる。その規模は小さな火山すら彷彿とさせるものであり、爆発が収まった後には小さな村落ぐらいならば、すっぽりと入ってしまうほどの広大な大地が削り取られていた。





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